角田光代「方舟を燃やす」を読みました。年代や性別によって、まったく違う痛みを伴う話だと思います。
この小説は、1960年代に鳥取に生まれた男性・飛馬と、同じ頃に結婚した不三子という女性、それぞれの半生を語る物語です。
不三子が新卒で就職した会社での職務について、「同期の男性は営業研修を始めたが、女性たちは伝票の管理やお茶の出し方を教わっていた」というような記述があります。
2026年の現代にこんなことをする会社があったら、それこそ大炎上だと思います。もしかしたら「こんなバカげたことが存在するわけがない」と思う人もいるかもしれません。
しかし、当時は(おそらく)普通でした(「おそらく」と付けたのは、私がその世代を体験していないからです)。
そして誰もそのことに疑問を持たなかった。主人公の不三子も、その「区別」をうらやましくは思いながらも疑問を持つことはなく、やがて結婚して退職します。
男女雇用機会均等法が施行されたのは、1986年のことです。男女雇用機会均等法は「雇用機会」と名前がありますが、雇用の機会だけではありません。正式名を「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律 」といい、雇用に関するすべての分野(待遇や解雇、ハラスメントなど)について、性別による差別を禁止するよう求める法律です。勤労婦人福祉法を前身としていますが、1986年に全面改正され現在の法律名になりました。
私が就職したのは2000年代ですが、入社した会社はそういった男女の役割分担が残っている会社でした。バックオフィスには女性が多く、営業職は全員が男性です。社長室のポットのお湯替えや、年末年始の餅つきの準備は女性社員の仕事でした。
男女雇用機会均等法が施行されて10年以上経ってもそうでした。だから、不三子の受けた扱いは、生まれる前の年代のことであっても「おそらくそうであっただろう」と容易に想像ができます。当時の私は「それが社会というものなのだ」と内面化してしまいました。
男女雇用機会均等法が施行されてから約40年が経ち、今はどうでしょうか。
令和7年度の雇用均等調査によると、管理職(課長相当職以上)に占める女性の割合は 13.8%でした。
育休の取得率は女子が80%代後半で横ばい、男性は令和に入ってから急激に上昇しているものの50%台後半です。また期間も、女性の半数が1年以上取得しているのに対して、男性は3か月未満です。
2026年に改正女性活躍推進法が施行され、一定規模の事業者について男女間の賃金差と管理職の男女比率の公表が義務付けられました。
まだ、こんなことを法律で義務付けなければならないレベルなのか、という気持ちもあります。
しかし、遅々とした歩みですが、少しずつ前進しています。
いま、不三子の就職したような「差別」が明るみに出れば、その会社には批判が殺到するでしょう。
中には「それが当たり前」と悪びれもせず公言する人間もいるかもしれません。しかしあの頃と違うのは、それを当たり前にすることを多くの人間が是としない、あるいは「当たり前だと言ってはならない」と認識しているということです。
40年かけてここまできました。
「おもしろいお菓子を作ってみたらどうだろう」と空想し、営業に出る男性同期たちをうらやましく思いながら、世の中の当たり前を当たり前として受け入れていた不三子。
数多くの「不三子」たちの悔しさと葛藤と疑問の先に、今があります。
参考:
女性活躍推進法特集ページ|厚生労働省
雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律|日本法令索引
雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律|e-Gov
令和7年度雇用均等調査|厚生労働省
