東京都社労士会の必須研修の受講をすっかり失念していて、期限2日前の今日、慌てて受けました。非常に興味深いテーマで、内容も期待通りに学びの多いものでした。いい研修ですね!
自由に動ける社会を仕組みによって実現する
いくつか印象に残った論点はあるのですが、そのひとつ、障害年金についての話で以下の文言がありました。
障害をもつことが稼働能力の喪失・減退につながりにくい社会では、年金支給の必要性は相対的には小さくなる。
良く聞く話として、眼鏡の話があります。「眼鏡がなければ日常生活を送ることすら困難なほど目が悪い人は、眼鏡という道具が発明されていなければ障がい者である」という話ですね。
障がい者の就労については、下のCMがすごく好きです。
障がい者の就労に限らず、あらゆる面で「思いやり」で解決しようとする方向に違和感をもっていたので、本当にこのCMは膝を打ちました。良いCMだと思います。もちろん、思いやりは大事ですよ!大事だけど、思いやりに依存せざるを得ない/依存させる社会はダメだとおもいます。
少しちがう話になりますが、私の育った地域は鉄道駅まで車で20分、バスが1日2本しかない場所でした。車の免許がなくタクシーを使うお金もない(そもそもタクシーをほぼ見ない)私は、大人の助けがないと街中へ買い物にも行けませんでした。東京に来て「電車」という仕組みを得たことで、私は自由に出かけられるようになりました。このことがあるから、私は余計に「仕組みによって自由を得る」ことに関心を抱くのかもしれません。
またこの論点については、講師の方が「“障害を持つ人も働くべきであり、障害給付を受けるべきではない”という話ではない」ときっちり強調されていたのが印象的でした。年金給付系の話になると、給付を削って労働へと駆り立てる論調を良く見ますが、そのような論調に対しては、社会保障ひいては社会をなんだと思っているのだと憤りを覚えます。
働きたい/働いてほしいがマッチするのが「契約」ではないか
私は(社労士としては良くない発言なのかもしれませんが)、障がい者雇用率の法定は将来的には廃止すべきだと考えています。数値目標があろうとなかろうと、お互いの利害がマッチして一緒に働くことができる社会が理想だと思っているからです。
そんなことを言ってたら障がい者雇用は進まない、という足元の課題はもちろんあると思いますが、ポジティブアクションと同じで、環境整備や社会的な意識の醸成が叶うまでの一時的な運用となるべき制度ではないでしょうか。むしろ一時的で終わらないのであれば、社会が倫理的に発展していない、という証左に他ならないように思います。
こういった考え方は、障害を持っていないが故の傲慢さではないと自信をもって言い切れないのですが……
科学技術の発展、社会意識の成熟によって「働きたいと思う人が働ける」社会が実現に近づくと良いなと思います。
