生成AI関係の議論を見ていると、色んな論点をごちゃ混ぜにしているとよく感じる。自分の中の整理も兼ねて文章にしようと結構前から考えていて、とりあえずメモ書きで出していこうと思う。
私の立ち位置
私は技術の進歩に対してはポジティブな立場でいる。基本的には技術は人を幸せにすることができる考えるからだ。
同時に現在の生成AIに対しては極めてネガティブである。人を幸せにしていないと思うからだ。
知財関連諸法に関する専門家ではない。聞き齧りと付け焼き刃で書く。
ちがった論点で会話をしている
生成AI推進派と生成AI反対派(グラデーションがあることは承知の上だが、シンプルにしたいのでこう分ける)がお互いへの見解をぶつける、あるいは垂れ流すとき、それぞれ別の論点に立っているように思う。
- 法律に関する話
- 学習行為に対する法律
- 著作権その他知財関連法に抵触するか否か
- 出力物に対する法律
- 出力したものをどう扱うか(所持/配布/販売など)に関する法的解釈
- 出力したもの自体に対する法的解釈(児童ポルノ、侮辱行為など)
- 加工行為に対する法律
- 学習行為に対する法律
- 感情に関する話
- 学習行為に対する学習されるものを作成した人の感情
- 加工される元データの肖像権を持つ人の感情
- 技術に関する話
- 科学技術発展への期待
- クオリティに関する話
- 市場需要に関する話
- 生成AIを利用して生成する側の視点(効率性など)
- 生成物に対する消費意欲
- 社会的な普及に関する話
- 環境負荷に関する話
- 推進派、反対派の態度に関する話
ざっと思いついただけでもこれだけの論点がある。そしてこれらは互いに大なり小なり関わりあっている。
問題は、推進したい側と反対する側がそれぞれ別の話をしているように思えることだ。
狭い範囲で見た限り、推進する側は「法的に問題がないこと」「技術発展は推奨されるべきものであること」の話をしている。市場需要や社会的な普及(「すでに多くの企業が使っているので今更反対しても意味がない」)について言及している人が多いように見える。
いっぽう反対する側は「法的に問題があること」「学習行為に対する感情」「出力物に対する法律」が多いように思う。
最初に書いた通り、私は知財法には明るくないので付け焼刃の知識になるが、日本の国内法ではAIの学習行為について禁止規定はない。そして生成AIの「学習行為」に関する判例はまだ出ていない。国外では判決が出ている裁判もあるが、国内ではまだないと認識している。
日本は前例のない裁判論点に関しては過去の判例が参考にされることが多い。なので、この記事を書いている時点(2026年4月5日時点)では、学習行為に対して明確には禁止されていない、と私は考えている。
「嫌だ」という感情を無視するのが一番の問題
法的に問題ない。技術的にできる。経済も発展する。だから相手の嫌だと言う感情を無視して良い、というのは、あまりに乱暴だし、なにより幼稚だろう。
- 学習データに使われたくない
- 自分の画像を加工してほしくない
そういう「被害者」の感情を無視して、どうして受け入れられると思うのか。この話には明確に「被害者」がいるのだ。誰かを不幸にして得る経済発展に意味はないし、真に成熟した社会であればとうてい選ぶべきではないと思う。
余談
完全に横道にそれるが、生成AIによって絵を生成する人はなぜわざわざ「絵師」を名乗るのかよくわからない。
適切なプロンプトによって意図に応じた出力を実現する技術には、プロンプトエンジニアリングという名称がついている。
私はプロンプトエンジニアではないので想像に過ぎないが、出力がうまくいかないという人が少ない中、意図通りの出力を得る技術は決して万人が簡単に得られるものではないだろう。むしろ今後生成AIがより広範に社会で使われると思うなら、誇るべき技術だ。
ということで「プロンプトエンジニア」と名乗れば良いと思うのだが、なぜわざわざ絵師を名乗るのだろう?
また「生成AIは素晴らしい技術である」と言う人が多い割に「生成AIによる作成物であることを明記すること」には消極的な印象を受ける。明記すれば見たい人は選べるし、見たくない人は避けられるし、生成した人のプロンプトエンジニアリングの能力を証明するポートフォリオにもなるので全員ハッピーだと思うのだが。
